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貴重資料展示室

第20回常設展示:1998年10月24日〜1999年4月7日
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江戸時代の星図-II

日本で初めての暦法を作った渋川春海は、星図の作成でも先駆者であった。まず、中国の星図をもとにした『天文分野之図』延宝五年(1677)を発表した。その後息子昔尹(ひさただ)の名で刊行されたのが『天文成象』元禄十二年(1699)であり、これには春海が観測した新しい星座も加えられている。日本の星図は長い間、春海の星図から大きく変わることはなかった。

星図は赤道座標で表わされ、二十八宿によって区切られている。北斗七星、(すばる)、織女といった名は馴染み深いだろう。

江戸後期、西洋天文学の導入と、定常的観測の継続により、より精密な星図が作られるようになるが、ここでは中国の星図の流れの中から展示した。

天文図解井口常範(いぐちつねのり)著 元禄二年(1689) 刊本5巻5冊

天文図解1 天文図解2

日本で初めて刊行された天文書といわれており、通俗的暦学の書であるが、巻頭に星図が掲載されている。

天文星象図解』 長久保赤水著 文政七年(1824) 刊本1冊

『天文星象図解』は、長久保赤水の入門書『天象管闚鈔』を元にして赤水の没後出版された。序文の後に星座早見盤ともいうべき、円盤が北極を中心に回転するようになっている色刷りの星座図がある。

天文星象図解1 天文星象図解2 天文星象図解3

天文星象図』 作者不明 刊1鋪

天文星象図

『天文星象図』は紙三枚を別々に刷り上げた後に、継いで一枚とした大判の星図である。星座は赤・黄・黒に色分けされ、見た目にはたいへん美しいが、伝統的な石申(せきしん)甘徳(かんとく)巫咸(ふかん)三家の星座」の色分けとはだいぶ異なっている。また、天の北極を中心とした赤道座標系で、二十八宿の境界などが描かれているにもかかわらず、肝心な星の位置はかなり不正確である。

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