貴重資料展示室
第01回常設展示:1991年12月末〜1992年3月28日
星学手簡
高橋至時 (1764-1804) は西洋天文学を採り入れ、寛政の改暦を成し遂げた中心人物である。大阪御定番同心時代、麻田剛立の門下にあり、同門に商人であった間重富がおり、高橋至時の良き研究協力者であった。高橋至時が幕府天文方に登用されたのち、江戸と大坂の間で、蘭学、暦書、観測や観測機器についての意見交換や近況報告の往復書簡がかわされた。『星学手簡』は、それらの書簡と他に関係する数人の書簡を集めて、至時の次男である渋川景佑 (1787-1856?) によって編集された、当時の天文学の水準を知る上で貴重な文献である。なお、有坂隆道著『日本洋学史の研究 I, V』に釈文がある。
『星学手簡』 高橋至時、間重富他筆 渋川景佑編 写本 上・中・下3冊
高橋至時から間重富への書状より、九月の火星以下を翻刻、便宜上句読点をつけた。
一、九月之火星退衝御実測無御座候哉。十二月ニハ木星退衝有之候。何卒退衝ニ前三四日より退衝後三四日之間、南中球行并地高度御測被成候ハゝ、被仰下度奉待候
一、水星ニ平行進退差有之候ハ桑名侯の蘭書ニ有之候。是ハ水星の初均末真数ニ無之と、太陽平行を用ひ候との故ニテ可有之奉存候。金星も両心差十万分之五百一十七を用ひ、最高所在を玄枵室ニ改候へは太陽実行を用ひ候て密合致候。水星ニハ未かゝり不申且密測も少ク候故、近来之見合無之五星之内水星のみ手を入かたく奉存候。昨年春夏之間、簡天儀の測少々有之候。密測ともおとし付かたく候。水星は精密之赤道儀と象限儀と垂球ヲ合せ用ひ候て、密測を重ね候ハゝ、暦法も出来可申奉存候。金火荒増片付置、又々土木二懸り申度候。四星出来候上ニテ、水星ニハ