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貴重資料展示室

第22回常設展示:1999年11月27日〜2000年11月10日
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江戸時代の望遠鏡

江戸中期になると、西洋の天文学を紹介する本も現れ、暦学に限らない一般的な天文学や天文観測が認知されるようになった。国内で望遠鏡も作られるようになり、その代表的なものが、岩橋善兵衛(いわはしぜんべえ)作の屈折望遠鏡であり、少し年代が下がるが、鉄砲鍛冶師の国友藤兵衛(くにともとうべえ)が作った反射望遠鏡である。彼らは自分達が作った望遠鏡で観測もしている。

ここでは、岩橋善兵衛が天文学の入門書として書いた書物と、橘南谿(たちばななんけい)がその岩橋善兵衛の作った屈折望遠鏡で月を見てスケッチした図を示す。また、西洋の天文事情について司馬江漢(しばこうかん)が書いた書物を展示した。

天文捷径(てんもんしょうけい) 平天儀図解』 岩橋善兵衛著 刊本1冊 巖橋耕柳堂蔵版

天文学早わかり入門書として出版された。提示した部分は天体観測用の望遠鏡の図で、善兵衛が作った最初の望遠鏡は丸筒でなく、形八稜(かたちはちりょう)であったというから、このような筒であったかもしれない。太陰図は月のスケッチである。

岩橋善兵衛 (1756-1811) は今の大阪府貝塚市の出身。寛政五年(1793)、最初の望遠鏡を完成させた。その後、何本もの望遠鏡を作ったが、伊能忠敬記念館他に5本が現存する。

平天儀図解1 平天儀図解2 平天儀図解3

望遠鏡観諸曜記』 橘春暉著 写本1冊

寛政五年に岩橋善兵衛が望遠鏡を作り、京都在住の橘南谿(橘春暉)に持参した。そこで望遠鏡をとおして見た天体のスケッチを描いた。この写本の月や惑星のスケッチは貝塚市立善兵衛ランド [外部サイト]に展示されている同題の写本と多少異なる。

橘南谿 (1753-1805) は京都の医師・文化人。

望遠鏡観諸曜記1 望遠鏡観諸曜記2 望遠鏡観諸曜記3

和蘭天説』 司馬江漢著 寛政七年 刊本1冊

この本は天文・気象などにまつわる諸説を游子六の『天経或問』などから吟味、適宜蘭書で補ったものである。とくに地動説については、コペルニクスの漢訳名を刻白爾 (本来はケプラーをさす) としてはいるものの、自身の見解も交えつつ絶賛している。

司馬江漢 (1747-1818) は画家・蘭学者で、銅版画を創ったことで著名。彼の『天球全図』は日本で初めての西洋星図として有名。

和蘭天説1 和蘭天説2

方円星図』 石坂常堅著 文政九年自序

方円星図

この『方円星図』は、文政九年に刊行された星図で、作者は石坂常堅(いしざかつねかた) (1783-1844) である。石坂常堅は福山藩 (広島県の一部) の藩士で、観測に堪能で、江戸幕府天文方手伝いとして、暦作および観測に従事した時期がある。

星図は縦横1度の目盛の方図に、赤道を挟んで南北60度までの範囲で6等級までの星が描かれている。石坂の自序によると、文政元年に『儀象考成(ぎしょうこうせい)』の表値に赤道歳差を加えて、分度星図と方図を作った。その後、儀器で星を観測・比較したところ、大きな誤りは見られないものの、未掲載の星があることがわかった。この図ではそれらも確定したものから順次加えているとのことである。なお、『儀象考成』は、ドイツ人宣教師ケーグラー (漢名は戴進賢(たいしんけん)) らによって、中国で作られた星表である。

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