貴重資料展示室
第02回常設展示:1992年3月28日〜1992年6月26日
観測 (江戸後期)
『霊憲候簿』 渋川景佑編 写本99冊
『霊憲候簿』は小石川三百坂下および九段坂測量所で行なわれた観測の記録であり、天保九年十一月一日(1838年12月17日)から弘化三年十二月二十九日(1847年2月14日)までの99冊が国立天文台に残されている。献上本は200余巻で内閣文庫に所蔵されている。
提示した部分は弘化二年十月一日(1845年10月31日)の部分で、その日のそれぞれの機器の担当者名、天候が記され、その後に垂揺球儀で測られた南中時刻などが各惑星名の下に書かれている。
『寛政暦書』 渋川景佑他編 天保十五年(1844) 写本35巻35冊
寛政暦 (寛政十年(1798)施行) は高橋至時が中心になり、西洋天文学を採り入れて作られた暦法である。編暦は『暦法新書』によって行なわれたが、暦理については至時が改暦後早く亡くなったこともあり、纏められていなかった。幕府は渋川景佑に編纂を命じ、出来上がった『寛政暦書』が、幕府に進献されたのは天保十五年(1844)であった。
提示した図は、『寛政暦書 巻十九』の「垂揺球儀全図」で、振子時計にあたる。垂揺球儀は中国の『霊台儀象志』にある垂球も参考にしつつ、間重富らが考案したと考えられている。垂球の振れは歯車の回転に変換され、最初の指示盤は下2桁、次は3桁目、その次は4桁目と、あわせて1万まで振り子の往復回数を表示できる。更に別の簡単な仕掛けにより100万往復まで表示可能で、1日は約6万往復、誤差は数秒の正確さをもっていたという。もっぱら天文観測に用いられた。