本文へ移動

貴重資料展示室

第51回常設展示:2014年10月24日〜2015年10月22日
[前回] [次回]

星図

ガリレオが望遠鏡を使った天体観測を始めて200年ほど経った頃、欧米では望遠鏡の改良に伴って様々な観測が行われ、多くの恒星が二重星であることや数多くの星雲や星団の発見など、現代の天体物理学の基礎となる成果が得られた。また写真技術が改良されて天体観測にも利用できるようになり、詳しい星図の作成や客観的な観測の評価に役立てられた。

M51のスケッチ

りょうけん座の「子持ち銀河」として知られるM51のスケッチ "Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made with Six-Foot and Three-Foot Reflectors at Birr Castle 1848-1878", The Earl of Rosse 著 (1880).

"Observations on the Nebulae", The Earl of Rosse 著 (1850)

The Earl of Rosse (1850) 1 The Earl of Rosse (1850) 2 (番号:SC117、マイクロなし)

第3代ロス卿として知られる ウィリアム・パーソンズ (1800-1867) は、アイルランドの天文学者。ハーシェルに続き、口径6フィートや3フィートなど集光量の大きい高倍率の反射望遠鏡を使って星雲や星団の観測を行い、銀河の渦巻き構造を見い出した。望遠鏡の反射鏡の研磨には時間がかかるため、同じ鏡を二組用意して鏡面が劣化すると交換し、その間にもう一方を研磨して観測が途切れないようにしていたという。

ロス卿夫人メアリーは、鍛冶技術の熟練した職人だったので、観測のサポートだけでなく望遠鏡の製作にも関わっている。メアリーは写真家のウィリアム・フォックス・タルボット (1800-1877) とも親交があり、夫の望遠鏡などを撮影した写真が残っている。タルボットは、ジョン・ハーシェルと協力してネガ・ポジによりプリントが複数できる写真を開発した人物である。

"Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made with Six-Foot and Three-Foot Reflectors at Birr Castle 1848-1878", The Earl of Rosse 著 (1880)

The Earl of Rosse (1880) 1 The Earl of Rosse (1880) 2 (番号:SC116、マイクロNo.71)

第4代ロス卿 ローレンス・パーソンズ (1840-1908) は、父ウィリアムの作った口径3フィート反射望遠鏡で星雲や星団の観測を引き継いだ。本書には『ニュージェネラルカタログ』を編纂したドレイヤーの名前も見える。

「M1」と記したのは『メシエカタログ』1番目の天体「かに星雲」で、「かに星雲」と名づけたのは父ウィリアムである。父のスケッチは「かに全体」の形に見えなくもないが、息子のは「かにのはさみ」のようであり、とても同じ天体のスケッチには見えない。現代の写真に近いのは後者であり、これだと別な名前となった可能性もあるだろう。しかし、写真技術が確立するまではこのようなスケッチに頼るしかなかった。

「かに星雲」は超新星爆発の残骸で、日本では天喜二年(1054)爆発当時の陰陽寮の記録が藤原定家の『明月記』に引用されている。『メシエカタログ』は、コメットハンターだったフランスの天文学者シャルル・メシエ (1730-1817) が、彗星を観測する際に見間違いやすい天体をまとめたものをいう。

"Cordoba Photographs: Photographic Observation of Star-Clusters", Benjamin Apthorp Gould 著 (1897)

Cordoba Photographs 1 Cordoba Photographs 2 (番号:SC95、マイクロなし)

著者のベンジャミン・グールド (1824-1896) は、アメリカの天文学者で、天文の学術雑誌『アストロノミカル・ジャーナル』を1849年に創刊した。当時天文学の中心はヨーロッパであったが、グールドは、学術誌の刊行を続けることで、アメリカにおける天文学の発展に努めた。また、1870年にはアルゼンチン政府に請われてコルドバ天文台の創設に関わり、初代台長となっている。1879年には南天と北天の観測から、主な恒星が天の川に沿ったものと、それに対して約20度の角度を持った帯に分かれていることを発見した。後者は「グールドの帯」と言われる。

本書はコルドバ天文台で写真を利用して行った星団の観測報告で、グールドの死後に刊行された。図はプレアデス (すばる) の星図の部分とその本文。左側にスペイン語、右側に英語で書かれている。

全天の恒星をくまなく調べた星表を「掃天星表」と呼ぶ。まず、アルゲランダー (1799-1875) を中心としてドイツで『ボン星表』(1859) が制作され、その後、ヨーロッパでは見ることのできない南天の星を加えるためにアルゼンチンと南アフリカで観測が行われ、『コルドバ星表』(1892)、『ケープ星表』(1896) が作られた。前者は眼視観測によるが、後者は写真技術を活用して作られている。

"Observations of Nebulae and Clusters of Stars Made at Slough, with a Twenty-feet Reflector, between the years 1825 and 1833", John Frederick William Herschel 著 (1833)

John Herschel (1833) 1 John Herschel (1833) 2 (番号:SC107、マイクロなし)

本書はジョン・ハーシェル (1792-1871) が、父の製作した20フィート反射望遠鏡で星雲・星団を観測した報告である。ジョンは1834年から1838年までケープタウンで観測を行い、南天の星を記録した。写真技術の改良にも寄与して、天文学上最古の写真を残している。

著者の父であるウィリアム・ハーシェル (1738-1822) はドイツ出身でイギリスに渡った音楽家・天文学者。天王星の発見者として有名だが、資金を得るために数多くの望遠鏡を製作・改良・販売し、赤外線の発見(1800)など様々な成果をあげた。ウィリアムの妹カロライン (1750-1848) は兄の観測記録を整理・出版するとともに、自分でも彗星や星雲を発見している。

後にジョン・ドレイヤー (1852-1926) が、ハーシェル父子の作った『ジェネラルカタログ』を追補し、1888年『ニュージェネラルカタログ (New General Catalogue)』として発表した。これは見かけが単独の恒星とは異なる天体のカタログで、現在でもNGCの後に掲載番号を付けてNGC 3587のように記される。

『格子月進図』 安部泰世 年代不詳(1300年代) 写し

格子月進図1 格子月進図2 (番号:広瀬0100、マイクロなし)

中国や日本では天文学はもっぱら暦を作るための学問で、星図の使い道は日々移動する太陽・月・惑星の位置を表わし、占いに用いることであった。西洋のギリシャ神話をもとにした星座に比べ、中国の星座は一つ一つが小さく含まれる星も少ない分その数が多く、目立たない暗い星まで加えられている。中国の皇帝を中心とした宮廷や官位、国や街のようすを表した星座が多い。

本書は暦を司る役職を代々ついだ土御門家 (安倍家) に伝わる星図で、一子相伝とされたその編暦の技術は外部に出ることがなかったため衰退していった。この星図を見ると、星座の星にこれまでにない番号がふってあり、伝来当時の二十八宿から度数が更新されているなど、改訂の行われていた様子が見られる。

後世の研究者が初めて見たときに、格子状の線の上に星をプロットしてある様子が近代的に見えて、それほど古い星図だと思わなかったということである (天文月報 昭和17年6月号 [外部サイト])。残念なことに実物は第二次世界大戦の空襲によって失われてしまい、写真だけが残されている。

[前回] [次回]