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貴重資料展示室

第32回常設展示:2005年3月28日〜2005年10月14日
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中国の星座 -歩天歌を中心に-

江戸時代までは星座といえば中国の星座であり、名称も形も意味合いも西洋の星座とは大きく異なっている。これらは、天帝のいる天の北極を中心に、地上の社会を反映するさまざまな人物や事物が配置された構造を持ち、そこで起こる天象から地上の政治を占うために使われていた。形よりも天帝 (天の北極) からの距離に意味があり、二十八宿を用いた赤道座標系で位置を表わすのも特徴となっている。

これらの星座が初めてまとまった形で見られるのは、紀元前1世紀ごろ前漢の時代に書かれた『史記』の『天官書』においてである。そして、3世紀ごろ、斉の甘徳(かんとく)・魏の石申(せきしん)・殷の巫咸(ふかん)のいわゆる三氏の星座として、呉の陳卓(ちんたく)により集大成されたといわれている。後世にこの陳卓の星座を詩に歌いこんだのが、『歩天歌』である。

近世になり、イエズス会宣教師により西洋天文学がもたらされると、春分を基準とした西洋流の座標系が使われるようになった。

紫微垣の図

新法歩天歌(しんぽうほてんか)』 刊本1冊

『歩天歌』は、6世紀末ごろ隋の時代に丹元子(たんげんし)が、星座、星を読み込んだ詩である。『歩天歌』では、天球上での星座の位置を紫微垣・太微垣・天市垣と二十八宿に分けられた赤道座標で示している。その後、中国の星座の位置はこの体系に習っている。もともとの『歩天歌』に星座図はないようで、この本は図を付けて『新法歩天歌』としたのだろう。

新法歩天歌1 新法歩天歌2

歩天歌山路主住(やまじぬしずみ)閲 写本1冊

中国の『歩天歌』に訓点を加えた和本。星図はない。山路主住は明和の頃の幕府天文方。写された年代は書かれていないが、主住閲とある事から、1760年代後半と想定できる。『新法歩天歌』と内容が多少違う。

歩天歌1 歩天歌2 歩天歌3

星図歩天歌』 刊本1冊 折り本

中国の『歩天歌』に安倍晴親(あべはれちか)が序を書き、小島好謙・鈴木世孝による訓点がほどこされ、長浜尚次による星座の図を加えて、文政七年(1824)に刊本として出版された。この本は、時代は不明であるが、ところどころ張り紙があり、星座を書き加え、又朱書きがなされている。

星図歩天歌1 星図歩天歌2 星図歩天歌3

欽定儀象考成(きんていぎしょうこうせい)戴進賢(たいしんけん)他編 刊本31巻12冊

欽定儀象考成1 欽定儀象考成2

ドイツ人宣教師ケーグラー (漢名は戴進賢) らによって観測された恒星の表で、1752年完成。5年後刊行された。星の位置は赤経・赤緯の表示の他に黄道座標でも示されている。また、南の星座には西洋の星座の影響が見られるという。

赤道北恒星総図(せきどうきたこうせいそうず)』 刊1枚

赤道北恒星総図

『儀象考成』の約100年後に完成した『儀象考成続編(ぎしょうこうせいぞくへん)』に掲載されている星の星座図で、赤道南恒星総図と対であるはずだが、残念ながら国立天文台には南恒星総図はない。

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