本文へ移動

貴重資料展示室

第26回常設展示:2002年4月1日〜2002年10月25日
[前回] [次回]

谷秦山と渋川春海

谷秦山(たにじんざん) (1663-1718) は土佐 (今の高知県) の人で号を秦山、名を重遠という。17歳の時に京都に出て、神道・儒学を学ぶ。神道の師が渋川春海 (1639-1715) と同じであったことから、渋川春海に天文・暦学を学んだ。長い間、書簡のやりとりによって、教えを受けたという。元禄十七年(1704)、秦山は江戸に行き、初めて春海と面会している。その時、直接春海に教えを受けた覚え書きを記したのが『新蘆面命』である。私たちはここから渋川春海という人を知ることが出来る。また『壬癸録』には渋川春海が作暦した貞享暦に関する様々な事が書かれている。春海が学んだ授時暦や『天経或問』についての内容、里差 (経度差) のこと、また、貞享暦に載せられた雑節の八十八夜についての説明も書かれている。さらに、観測した星についても触れている。秦山が春海から学んだ内容を記したのだろう。

国立天文台には秦山の自筆本といわれる『壬癸録』を含む、元禄十五年、宝永三・四・五年の七曜暦の自筆計算本や雑録である『秦山拾塵』など、秦山関係の本は計12種が所蔵されている。

新蘆面命(しんろめんめい)』 谷秦山著 写本1冊

新蘆面命

谷秦山が書簡の往復で天文暦学の教えを受けた春海との直接の対話の内容を書いたもの。展示はその冒頭部分。春海の姿を「60有余才の老人で質実な感じのする人、目の前の人が、今まで大切なことを教えてくれた人なのかと驚くばかり」と感想が述べられている。

壬癸録(じんきろく)』 谷秦山著 写本10巻4冊

壬癸録1 壬癸録2

展示した『壬癸録』は写本で、富岡鉄斎の所蔵していた本である。もう1本、秦山集の中の巻三十三から四十一の中の雑書として、壬癸録が巻一から九まである。こちらは、秦山の自筆本と考えられている。秦山が自筆本に押しているマークが押されていることが理由の一つである。残念ながら傷みがはげしい。

秦山拾塵(じんざんじゅうじん)』 谷秦山著 自筆本2冊

秦山拾塵

天文学には直接関わりないが、秦山の自筆本として、提示した。雑録である。秦山自筆本に押されているマークがある。

天文瓊統(てんもんけいとう)』 渋川春海著 写本8巻5冊

渋川春海が自らの観測成果もふまえてとりまとめた、いわば春海の天文学・暦学の集大成ともいえる本。既に第5回で『天文瓊統』を展示しているが、今回、それとは別の写本を提示した。

渋川春海は江戸幕府初代天文方貞享暦法を作る第3回「長暦」、第5回「渋川春海の業績」、第15回「貞享暦と授時暦」で渋川春海について紹介している。

天文瓊統1 天文瓊統2

元禄十五年(1702)七曜暦』/『正徳四年(1714)七曜暦』 谷秦山著

七曜とは太陽・月・木星・火星・土星・金星・水星の七天体のことで、二十八宿を用いて日々の位置を示している。上段には干支二十四節気朔弦望七十二候などが書かれ、欄外には天気などの情報がメモされている。『元禄十五年七曜暦(しちようれき)』は「秦山蔵書印」が押されている。上欄欄外に書き込みがあり、天文以外に地震などについても触れている。

元禄十五年七曜暦 正徳四年七曜暦
[前回] [次回]