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貴重資料展示室

第46回常設展示:2012年4月1日〜2013年3月31日
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季語・歳時

暦の日付は明治五年までは太陰太陽暦、明治6年からは太陽暦で設定されたが、日付以外にも二十四節気など季節を表す言葉も書き込まれ、実際の生活に用立てられてきた。それは現在も引き継がれ、身近なカレンダーの中に根付いている。

年中行事は頒暦では触れられないものが多いが、歳時記等で紹介されている。

『(諸国圖會) 年中行事大成』 刊本6冊

年中行事大成 (番号:7003、マイクロなし)

月ごとの全国の行事・祭等が、多くの見開きの図とともに紹介されている。これは五月の「田植之圖」。

天保十六年(1845)伊勢暦』 1帖

天保十六年伊勢暦

太陰太陽暦月の満ち欠けをもとしており、年によって月日と季節にずれが生じるものだった。そのため、季節の目安となるように、二十四節気が日付の間に記されている。芒種から夏至の半ばまで、下段に「田うへよし」と幾度か記されている。夏至の途中には、七十二候の「はんけしやう」の記述もある。

七十二候抄』 貞享三年(1686) 刊本5冊

七十二候抄1 七十二候抄2

本書は中国の七十二候を紹介したもの。七十二候は中国で作られたものと、貞享の改暦に際し渋川春海が日本独自の言葉を当てはめたものがある。これ以降は田植をしてはいけないとされる「半夏生(はんげしょう)」等、同じ言葉が用いられていることもある。具注暦 (漢文の暦) には載っているが、仮名暦には「半夏生」のように農作に特に重要とされた情報を除き、基本的には記載されなかった。

壬癸録(じんきろく)』 谷秦山(じんざん)著 写本4冊

壬癸録 (番号:206、マイクロNo.46)

日本独自の暦注に、「八十八夜」と「二百十日」がある。「八十八夜」と「二百十日」は明暦二年(1656)の伊勢暦から記載され、貞享の改暦の際に除かれたものの、翌年からまた載せられるようになった。『壬癸録』には、伊勢の船長が奉行所に訴えたことにより、民の便になるから復活させたと記されている。

『日本歳時記』 貝原益軒(かいばらえきけん)刪補 貝原好古(かいばらよしふる)編録 貞享五年(1688) 刊本4冊

日本歳時記1 日本歳時記2 (番号:7001、マイクロなし)

季節ごとの風俗や行事、動植物、二十四節気をはじめとした季語について、粱の宗懍による中国の歳時記『荊楚(けいそ)歳時記』等多くの書を引用し、加えて益軒と好古の知見が記されている。

ここでは七夕の説明と中秋の月見の図を示す。七夕については、その内容や由来を、『荊楚歳時記』の引用から始め、続いて明の謝肇淛(しゃちょうせい)著の随筆『五雑組(ござっそ)』から・・・という具合に紹介している。

群芳暦(ぐんぼうれき)梅屋鞠塢(うめやきくう)撰 刊本1冊

群芳暦2 群芳暦1

暦とあるが、実際はカレンダーではなく月ごとの草花、植物を記したものである。七月は、七夕に供える「星祭七草」として、蓮、桔梗、小車(おぐるま)女郎花(おみなえし)、菊、島薄(しますすき)(縞薄)、剪翁(せんのう)(仙翁)が挙げられている。八月は、「星祭七草」と間違えないようにと記されている「秋野七種」が挙げられている。

参考文献:
『暦と時の事典』 内田正男著 雄山閣
『暦 (増補改訂版)』 渡邊敏夫著 恒星社

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