明治15年(1882)に気象台と天象台に分かれるまで、東京大学理学部観象台では天文現象だけでなく気象も観測していた。国立天文台で所蔵する、市井でも親しまれたと思われる天候・気象の書を紹介する。天候は農業、漁業等に広く影響するため市井でも関心が高く、19世紀初頭からは、年間の天候予測と暦を兼ねた書も刊行された。
天候についての占いの書。「秋の日に北風吹は雨ふるといへとも
天候の予測について記されている。著者の中西敬房 (?-1781) は京都の暦算家。
雲や虹などの気象現象の説明、江戸・京都・大阪の地形を踏まえた天気予測、風や彗星、干支などによる天気占いが解説されている。地形を踏まえた予測は現代の気象学にも通じるものであるが、干支で天気を予測するのは予測と言うより占いと言える。しかし凡例に「天時の晴雨ヲ窺フ者ハ其要仰テ雲物ヲ観察スルニ過ザルナリ。故ニ此書ヤ望気以テ体トシ占法ヲ以テ用トス」とあるように、気象現象の観測 (望気) がまず最初にあることから、『天時占候』より自然科学的になっているとも言える。
地形・風と彗星・日食等が等しく天気占いの材料となっているのは、天文現象と気象現象の線引きがなされていなかったためである。
携帯しやすいように両面刷りされ、畳めるようになっている一枚物である。表面には月ごとの天候予測が記され、裏面には「日の出 色青ハ風雨」といった天気占いと、四季ごとの干支による日付の天候予測、満ち潮の時刻等が記されている。表題の「天文台」の語句は、天文と気象を分けて考えられていなかったことを窺わせる。
『晴雨考』は1年の天候を予測した書。本書は尾州 (尾張) で毎年刊行されており、弘化二年は尾張医学館門人の平井直之 (豊亮) が著者となっている。以前は蘭学者の
年中風雨ノ考として「子ノ日ニ東風有テ卯ノ日雨アリ」のように干支ごとに予測され、「東風急ナレバ蓑笠ヲ備ウベシ」などの経験則にもとづいた天気占いが続く。その後に弘化二年の月ごと日ごとの予報が記されている。月の大小も書かれており、暦も兼ねている。現在の科学をもってしても1年を通した1日単位の天気予報は困難と思われるが、やはり「毎日ノ條下ニハ晴雨ノ考ヲ載テ宇宙変動無窮ナレドモ、占候アル一ニヲ述フ 雨ノ日ニ雨ナクシテ前後一両日ニ有レハ遅速スルナリ」と予報がずれることを事前に断り書きしている。
天文と気象を分けて考えていなかったためか、『天文奇現象錦絵集』には天候に関する錦絵も含まれている。天文現象に関する錦絵は2007年の第36回展示『天文奇現象錦絵集』で紹介したが、ここでは残りの気象現象に関する錦絵を紹介する。(番号:7984、マイクロなし)
火事による上昇気流が突風を引き起こしたと思われる。
安政五戊午年(1858)十一月十五日 下谷ねりべい小路より出火して右の記す所の町々悉く類焼す。殊に火中につむじ風あり・・・
竜巻状の雲を見上げる人々の図。
明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて・・・
後半に玄米、白米が降ったとあるが、明治15年5月は新潟を含め全国的に降雹があったため、それが誤って伝わった可能性がある。
参考文献:
『日本の気象史料』 中央気象台、海洋気象台編 原書房
『明治前日本数学史』 日本学士院編 野間科学医学研究資料館
『江戸時代の人々の大気現象に対する認識について:「民用晴雨便覧」再考』 小笠原洋子 お茶の水地理第38号
『気象百年史』 気象庁編 日本気象学会