暦Wiki
月齢が生まれるまで†
- 明治5年11月9日、明治5年太政官布告第337号 (改暦ノ布告、法令データ提供システム ) により、太陽暦の導入が宣言されます。
- 明治5年12月3日を明治6年1月1日としますので、実施までわずか3週間ほどというタイミングでした。
- このため、明治6年暦には旧暦を併記することになりました。
- その後も太陽暦の普及は思うようにはかどらず、何度か議論にはなるものの、明治42年暦まで併記は続きました。
- その間、太陰暦→太陰盈虚→月盈虚と、少しずつ名称が変わります。盈虚とは月の満ち欠けのことですが、中身は陰暦日付のままです。
- 明治13年暦で太陰盈虚という名称になった際、「日」という単位がなくなりました。●や○といった月の満ち欠け記号が登場したのもこのときです。
- ようやく、明治43年暦で旧暦併記が終了することになります。
- 明治41年03月19日、衆議院で可決されました。
- 月盈虚の欄が月齢に変わりました。「月ノ齢 朔ヨリ起算シタル日数」と説明されています。
- なぜ正午月齢?
- 当時、太陽の赤緯などの諸量は正午の値を記載するのが普通でした。いわゆる天文時の概念というわけです。
- 第二次世界大戦後に刊行が始まった暦象年表では、他の諸量は世界時0時に変更されましたが、月齢は正午のまま継続されています。
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Last-modified: 2016-06-30 (木) 13:59:16