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日本経緯度原点†
- 日本の地図測量の基準点 (国土地理院 )
- 港区麻布台にあった旧東京天文台のメルツ・レプソルド子午環中心跡。
- 明治初期 海軍水路部
- 明治05年04月24日 太政官布告130号 海軍省標竿 東経 139°45′25.05″:9時19分1.67秒 (国立国会図書館 )
- 明治15年10月 チットマン点 東経 139°44′57″:9時18分59.8秒 (水路部沿革史 p.375, p.451)
- 編暦担当部局はこれとは異なる基準を用いていました。
- 明治17年 一等三角点 旧東京の設置
- 明治18年 海軍水路部と内務省地理局との協議
- 明治19年02月25日 チットマン点 東経 139°44′30.3″:9時18分58.02秒 (国立国会図書館 )
- 明治21年05月12日 勅令第25号 陸地測量部 (のちの国土地理院) 設立 (国立国会図書館 、国土地理院 、日本測量協会 )
- 明治21年06月 東京天文台設立
- 明治25年 陸地測量部がメルツ・レプソルド子午環中心を一等三角点 東京 (経緯度原点) に決定。
- 北緯 35°39′17.5148″:明治9年の肝付氏による赤道儀測定値をもとに算出
- 東経 139°44′30.0970″:9時18分58.0065秒、上記チットマン点の経度をもとに算出
- 大正07年(1918)09月19日 文部省告示號外 (国立国会図書館 )
- 北緯 35°39′17.5148″:変更せず
- 東経 139°44′40.5020″:9時18分58.700秒、レプソルド大子午儀の経度(139°44′40.9″)をもとに改正
- 経度は最新の成果をもとに改めましたが、緯度はそのまま残されました。これが後に暦象年表の経緯度に問題が発生する要因となります。
- 大正12年(1923)09月01日 関東大震災
- 関東大震災でメルツ・レプソルド子午環は大破、1mほど移動してしまいました。そこで、逆に経緯度がその数値になるような地点を選んだものが現在の経緯度原点とされている金属標です*1。
- 大正13年(1924)12月26日 一等三角点 東京(大正)の設置
- ちなみに、連合子午儀@三鷹とレプソルド大子午儀@麻布の経度差観測は大正12年の夏に行なわれました *2。
- そのおかげで、関東大震災の際には大子午儀は梱包されていて被害を免れたそうです。
- 三鷹に移転後は、時刻や経度の基準の役割こそ連合子午儀に譲りましたが、恒星の赤経観測などに活躍、2011年には国の重要文化財に指定されました。
- 平成13年(2001)12月28日 政令第432号 世界測地系に移行 (国立国会図書館 )
- 北緯 35°39′29.1572″
- 東経 139°44′28.8759″
- 平成23年(2011)10月21日 政令第326号 東日本大震災の影響
(法令データ提供システム )
- 北緯 35°39′29.1572″
- 東経 139°44′28.8869″
関連ページ†
Last-modified: 2017-04-28 (金) 22:36:10