本文へ移動

貴重資料展示室

第17回常設展示:1997年5月1日〜1997年11月5日
[前回] [次回]

天保暦法とラランデ暦書

天保暦法は我が国最後の太陰太陽暦法で、明治6年(1873)の太陽暦採用の前年まで使われた。当時使われていた寛政暦法は西洋天文学を採り入れた『暦象考成 後編』にもとづく暦法であったが、日月食の予測精度は十分に満足できるものではなかった。天保十二年、幕府は天文方の渋川景佑に改暦御用の命を下し、景佑の提出した『ラランデ暦書』の翻訳書である『新巧暦書』を基に、同じく天文方山路諧孝が提出していた蘭人ペイポの天文書の翻訳書である『西暦新編』を参考として、新暦の編纂がなされることになった。天保十三年には新暦案は完成し、天保十五年(1844)から施行された。天保暦の暦理は『新法暦書』9巻、数理は『新法暦書続録』30巻に詳しく述べられている。

新法暦書 (天保暦書)』 渋川景佑編 全9冊

新法暦書1 新法暦書2

『ラランデ暦書』

ラランド (1732-1807 Joseph Jerome Le Francais de Lalande) は、フランスの天文学者でフランスの天体暦や航海暦の編集者でもあった。彼の著作による天文学の一般的教科書である "Astronomie" 第2版 (1771 全3冊、フランス) が、オランダでストラッペ (Arnoldus Bastiaan Strabbe) によって訳され、日本に入ってきたのが、"Astronomia of Sterrekunde" 全5冊である。この本を『ラランデ暦書』と称している。

幕府天文方で寛政改暦を行った高橋至時は、1803年に個人所有であったこの本を17日間だけ借りて読み、直接西洋天文学にふれ、その内容に感嘆し寝食を忘れて、抄訳に没頭したと云われている。『ラランデ暦書』の翻訳には高橋至時、間重富高橋景保、渋川景佑らが関わっている。現在、国立天文台にはフランス本全3冊、オランダ本は巻1が欠の4冊が残されている。また、天文台に残されている『ラランデ暦書』の和訳本には次の書がある

ラランデ暦書訳草』 渋川景佑著

ラランデ暦書1 ラランデ暦書2

渋川景佑 (1787-1856?) によって、上記至時が訳さなかった部分について、解読された。全4冊の内、2冊が国立天文台に残されている。「東岡先生」とは高橋至時のこと。

ラランデ暦書訳述』 間重富著

間重富 (1756-1816) による翻訳。

ラランデ暦書表 (仮題)

太陽、五星 (水星・金星・火星・木星・土星)、太陰 (月)、附星/小星 (衛星)、恒星の表。

"Astronomie", Joseph Jerome Le Francais de Lalande著 第2版 1771年 全3冊 フランス

Astronomie 1 Astronomie 2

"Astronomia of Sterrekunde", Arnoldus Bastiaan Strabbe訳 全5冊 オランダ

Astronomia 1 Astronomia 2

蕃書調所の印があり、幕府天文方の所持だったことがわかるが、高橋至時が使った『ラランデ暦書』は火災で焼失したので、その後、買い入れたものと考えられる。

[前回] [次回]