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貴重資料展示室

第41回常設展示:2009年10月24日〜2010年4月16日
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江戸時代の天文観測

江戸中期になり西洋天文学の知識が広まるにつれ、太陽と月、星の動きを精密に観測し、暦法を評価・ 改良する研究が盛んに行なわれるようになった。『寛政暦書』には幕府天文方の観測に使われた、星の位置を測る渾天儀や象限儀、観測時刻を測る垂揺球儀、南中時の太陽の影を測る圭表儀のほか、オランダ製の天体望遠鏡など様々な機器の図があり、それぞれに説明も付けられている。

わが国にも、ガリレオが1609年に望遠鏡で天体観測をしてから4年後には望遠鏡が入ってきている。そのうちに、海外のものを参考にして国内でも望遠鏡を作る者が出てくると、これを使った天体観測が行われ太陽や月、惑星などの記録が残されている。

『天文捷径 平天儀図解』 岩橋善兵衛著 享和二年(1802) 刊本1冊

平天儀図解1 平天儀図解2 平天儀図解3 (番号:458、マイクロNo.73)

泉州 (現在の大阪府貝塚市) の岩橋善兵衛は眼鏡を作る職人であったが、眼鏡の玉 (レンズ) を磨く技術を生かして、後に望遠鏡を専門に作るようになった。『天文捷径 平天儀図解』は平易に書かれた天文学の入門書である。

眼鏡職人によって作られた屈折望遠鏡は他にもあるが、反射望遠鏡は近江 (現在の滋賀県長浜市) の鉄砲鍛冶の国友藤兵衛によって作られた。

望遠鏡観諸曜記』橘春暉著 写本1冊

望遠鏡観諸曜記1 望遠鏡観諸曜記2 望遠鏡観諸曜記3 (番号:463、マイクロNo.106)

寛政五年(1793)に岩橋善兵衛が作った屈折式望遠鏡を京都の橘南谿(橘春暉)に持参し、この望遠鏡で観察した天体のスケッチである。日真象 (太陽の真の姿) には黒点が書かれており、その下の歳星 (木星) には4つの衛星が、鎮星 (土星) には輪があり、月真象 (月の真の姿) にはクレーターや「海」の様子が描かれている。

橘南谿 (1753-1805) は京都の医師・文化人。

寛政暦書 巻二十

象限儀全圖 寛政暦書1 寛政暦書2 寛政暦書3 (番号:40、マイクロNo.28,29,30)

『寛政暦書』は寛政暦の暦法について書かれた全35巻の大作であるが、そのうち巻十九から巻二十一までは、観測機器などの図がまとめられている。象限儀は天体が南中したときの高度を測る装置であり、西洋の四分儀にあたる。

蛮製観星鏡はオランダ製の望遠鏡で、望遠鏡を覗きながら手元で高度・方位を調整できるようにロッドが付いているのがわかる。小型のガイド用望遠鏡、接眼部の交換部品も付属している。蛮製地平経緯儀はオランダ製で、天体の高度・方位の測定や日月食の食分測定などに使われた。

寛政暦書 巻十九

寛政暦書4 寛政暦書5 寛政暦書6 (番号:40、マイクロNo.28,29,30)

大輪垂揺球儀は重りを動力とした振り子時計である。振り子が1往復した回数を機械仕掛けで計測し、表示した。本体上部の小さな文字盤で1〜100回まで、大きな文字盤で100〜1万回まで、さらに大きな文字盤に開けられた穴の中の文字により10万回まで、回数を数えられる。これを元に任意の時刻を計算で求めていた。

もともと時計は、日時計を表す土圭からきている。中国や日本の太陰太陽暦は太陽の南中時における影が最も長くなる冬至が起点であり、圭表儀はこれを測定するために作られた機器で、『寛政暦書』には圭表儀と小表儀の大小二種類が載っている。

寛政暦書7

簡天儀は渾天儀を簡略にしたもので、本来は観測用の機器であった。赤経、赤緯など天球の概念を説明するため小型の模型も作られ、こちらが多く残っている。

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