暦Wiki
標準時 (Standard time)†
- 地方時は任意の子午線について定めることができます。
- 視太陽時のころはもちろん、時計が普及し始め平均太陽時が用いられるようになっても、各地でバラバラの時刻が用いられていました。
- 鉄道網や通信網がなかった時代では、それでも大きな問題はなかったようです。
- 19世紀に入り鉄道網が発達してくると、さすがにそれでは不便であるということで、共通の時刻を用いるようになりました。
- 国や地域ごとに、ある特定の子午線にもとづく時刻を共通に使用します。
- この特定の子午線を標準子午線、本初子午線と標準子午線の経度差にもとづいて定めた時刻を標準時あるいは地方標準時といいます。
- 標準子午線には本初子午線と15°の整数倍だけはなれたものを選ぶことが多いですが、そうでない例もたくさん存在します。
- 標準時の歴史はイギリスに始まります。
- 1840年、Great Western Railwayという鉄道会社がロンドン時刻を採用したのをきっかけに、他の鉄道会社もロンドン時刻を採用するようになりました。
- 1847年9月22日、Railway Clearing Houseがグリニジ時刻を用いるように提言、多くの鉄道会社で12月1日から採用されました。
- 既に1767年版から刊行されていてる英国暦はグリニジを基準としており、海図もそれに習って作られていました。
- 1852年にはグリニジ王立天文台に電信線がつながり、時計の同期が取れるようになりました。これによりグリニジ時刻の利用が一気に進みます。
- 1880年8月2日、法的にもグリニジ時刻が採用されることになりました。
Statutes (Definition of time) Act, 1880 (RAILWAYS ARCHIVE )
- 一部の国や地域では、特定の期間において時計を進める夏時刻 (Daylight Saving Time) も採用されていることがあります。
日本の場合†
- 明治17年(1884)の国際子午線会議を受け、明治19年(1886)07月13日 勅令第51号 (法令データ提供システム ) により、
- グリニジ王立天文台を本初子午線とし、
- 東経135°すなわちグリニジの時刻に9時間を加えたものを日本の標準時とすることが定められました。
- ただし、時刻の変更は生活に多大な影響を及ぼしますので、標準時については明治21年1月1日から実施することになりました。
- それ以前は地方時が用いられていました。
- 明治28年(1895)12月27日 勅令第167号 (国立国会図書館 ) により、西部標準時ができました。
- 台湾・澎湖列島・八重山および宮古列島では東経120°すなわちグリニジの時刻に8時間を加えたものを標準時とすることになりました。
- これまでの標準時は中央標準時と名称が変わりました。
- 西部標準時は昭和12年(1937)10月01日に廃止されましたが、中央標準時という用語はそのまま残り、現在に至ります (法令データ提供システム )。
- このように、法律上は中央標準時というのが正式な呼び方ですが、日本標準時や日本時という呼び方もよく用いられます。
- 一方、総務省設置法 (法令データ提供システム ) や国立研究開発法人情報通信研究機構法 (法令データ提供システム ) では、「標準時」という用語が使われています。
- この「標準時」と中央標準時の関係は、総務省/文部科学省告示「総務省設置法第四条第一項第六十七号の規定に基づいて発射する標準電波の周波数等」(総務省 ) に定められています。
- このほかに第一次世界大戦後日本の委任統治領となった地域では南洋群島標準時が用いられていました*1。
関連ページ†
Last-modified: 2020-04-21 (火) 19:04:49