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古代ギリシャ暦 (Ancient Greek Calendars)†
- 古代ギリシャは多くの都市国家(ポリス)で構成されており、暦もポリスごとに異なるものが使われていました。
- 大きなくくりでは太陰太陽暦に属します。しかし、各ポリスで不規則に運用され、年も月も日もバラバラ、後から遡ることも先を予測することも関連付けることも困難なものとなっていました。
- 古代ローマと同様、断片的な碑文や記述から推定せざるを得ず、はっきりしない点も多数あります。
- 紀元前5世紀には、アテネのメトンが太陰太陽暦の基本周期である19年周期、いわゆるメトン周期を唱えました。
- さらに、紀元前4世紀にはカリポスがそれを改良したカリポス周期を見出しました。
- これらを使えば正確で規則的な暦を作ることができます。
- 天文学者の間ではメトン周期やカリポス周期、さらには古代エジプト暦が好んで用いられました。
- 第Xカリポス周期の第Y年のような表記は、紀元前330年を第1カリポス周期の第1年、76年を1カリポス周期として数えたものです。
- Antikytheraの機械には、メトン周期にもとづき、コリントスなどで使われた月名の刻まれた文字盤があります。
- しかし、実際の暦に浸透するまでにはだいぶ時間を要したようです。
- 各月は月の満ち欠けをもとしており、原則として29日または30日からなります。
- 各月は朔ではなく最初に細い月が見える日から始まるとされ、元来は観測にもとづき定めていたと思われます。
- 祭りの都合等で日付を人為的にずらすこともあり、必ずしも月の満ち欠けに沿っていた訳ではなかったようです。
- このため、日付はポリスごとにバラバラとなっていました。
- 紀元前2世紀ごろには、実際の満ち欠け(κατά Θεόν; 神による)と暦面の日付(κατ' άρχοντα; アルコンによる)にずれがあることは認識されていました。アルコンとは最高権力を持つ執政官のことです。
- 月の名称はその月に行われる宗教的祭礼などをもとにしていました。
- 部分的に共通性は見られるものの、ポリスごとに異なる名前が用いられました。
- 年初は二至二分後の太陰暦月が一般的です。
- しかし、春分・夏至・秋分・冬至のどれを基準とするかはバラバラです。
- うるう月の入れ方
- 不規則に見えるもの、8年周期らしきもの、19年周期らしきものとさまざまだったようです。
- 年の数え方
- 一般的に、アテネのアルコンなど、各ポリスを代表する役職についていた者の名前で呼ばれました。
- ギリシャ世界共通の事象は各ポリスの暦日をずらずら並べて表現しました。
- 4年周期のオリンピックを共通の物差しとし、オリンピック勝者の名前や第Xオリンピアードの第Y年という数え方も用いられました。
- 古代オリンピックの始まったとされる紀元前776年を第1オリンピアードの第1年 (Ol. 1.1)、4年を1オリンピアードとして数えます。
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Last-modified: 2022-10-26 (水) 13:35:41