暦Wiki
日曜日†
日本の場合†
- 明治の初期は1と6のつく日を休日としていました。
- 明治元年 (慶応4年) 正月21日 「一六ノ日休」 (国立国会図書館 )
- 明治元年09月18日 9月22日に休日変更、ただし以後は一六ノ日 (国立国会図書館 )
- 明治6年太陽暦が導入されると31日ができましたが、それは休日としないことになりました。
- 明治6年01月07日 太政官第2号 (国立国会図書館 ) 「31日は休暇に非ず」
- 年末年始 (12月29日〜1月3日) の休暇ができたのはこのときです。
- 6月28日〜30日も休暇とされましたが、こちらは明治6年6月23日の太政官第221号 (国立国会図書館 ) で取り消され、実施されませんでした。
- 日曜日が休暇日となったのは明治9年4月のことです。
- 明治09年03月12日 太政官第27号 (国立国会図書館 )
- このとき土曜日も半日休暇となりました。
- 博多どんたくという名前にも残る「どんたく」とは、オランダ語の日曜日Zondagを音訳したもので、日曜日や休日を意味します。ここから半日休暇の土曜日は半ドンと呼ばれるようになりました (いまや死語ですが)。
日曜表†
ソビエト連邦の5日週と6日週†
- 1929年10月から1940年6月26日の間、ソビエト連邦(現ロシア)では5日あるいは6日が生活単位となっていました。
- 1929年、5日週の採用 (Nepreryvka)。
- 5つの曜日は番号や色、記号などで区別されました。
- 労働者は5グループに分けられ、交代で順番に休みます。
- 当時は五か年計画の真っ只中、これにより、工場などを連続稼働させ、生産性を上げることができるはずでした。
- しかし、家族や友人と休日があわない、日曜日に礼拝に行けないなど不満が続出、肝心の生産性も上がらなかったようです。
- 年に5日だけ、共通の休日が設けられました。
- 1月22日:1905年1月22日(ユリウス暦では1月9日)におきた血の日曜日事件、1924年1月21日のレーニン命日にちなみます。
- 5月1日と2日:メーデー、労働者の日にちなみます。
- 11月7日と8日:1917年11月7日(ユリウス暦では10月25日)におきた十月革命にちなみます。
- 1931年、6日週の採用 (Shestidnevka)。
- 各月の6/12/18/24/30日が共通の休日とされました。
- 30日のない2月や31日などの扱いは、統一がとれていなかったようです。
- 第2次世界大戦が激化し、ナチスの脅威がソ連にも迫りつつあった1940年06月26日、7日週は復活されました (ロシア連邦公文書館 )。
関連ページ†
Last-modified: 2021-01-20 (水) 15:44:51