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貴重資料展示室

第57回常設展示:2018年10月26日〜2019年10月24日
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貴重書に見る太陽系

天文学の始まりは、星を観測してそのデータをもとに動きを予測し、王や国の行く末を占うことが目的であった。惑星は他の星とは動きが異なるため、占いの大きな要素とされた。星座は古くから星の位置を表す目安として使われていた。下の星図には南天の星座としてアルゴ座が描かれている。現在ではりゅうこつ座、ほ座、とも座と3つに分けられ使われていない。

皇帝天文学
『皇帝天文学』"Astronomicum Caesareum", Petrus Apianus 著 (1540)

天文捷径(てんもんしょうけい) 平天儀図解(へいてんぎずかい)』 岩橋善兵衛著 享和二年(1802) 刊本1冊

平天儀図解1 平天儀図解2 平天儀図解3

岩橋善兵衛 (1756-1811 大阪貝塚の元眼鏡職人) はレンズを磨く技術を生かして、西洋の望遠鏡を元に自身で作った望遠鏡を「窺天鏡」と名付け、観望会を開いたり、販売をしたりするようになった。また善兵衛は一般向けの天文学入門書『天文捷径 平天儀図解』を著し、観測した天体の図を載せている。捷径とは早道といった意味である。

太白星 (金星) は満ち欠けの様子が、歳星 (木星) は縞模様と4個のガリレオ衛星が、鎮星 (土星) は特徴である輪が描かれている。『平天儀図解』には、地球を中心として月が、次に内惑星の水星、金星が周りを回っている太陽があり、その外に惑星の火星、木星、土星と続く、地球中心説 (天動説) の宗天図が載っている。

崇禎暦書暦引(すうていれきしょれきいん) 図編』 高橋至時(たかはしよしとき)句読、渋川景佑(かげすけ)編 安政二年(1855) 刊本3冊

崇禎暦書暦引1 崇禎暦書暦引2 崇禎暦書暦引3

『崇禎暦書』は1635年に完成した中国の暦書。中国の明朝末期に徐光啓(じょこうけい)(1562-1633 暦学者) らが、イエズス会宣教師 アダム・シャール (1592-1666 ドイツ人。中国名は湯若望) らの協力を得て、西洋天文学を採り入れた改暦を目指し編纂された。明朝はまもなく滅亡し改暦は実現しなかったが、清朝になってから時憲暦として公布されている。

後に全135巻の膨大な『崇禎暦書』から、その摘要が『崇禎暦書暦引』としてまとめられた。『崇禎暦書暦引 図編』は、日本で渋川景佑がその内容を図で解説したものである。図中の多禄某とはトレミー (プトレマイオス) 、歌白泥とはコペルニクスのことである。後者の図が地動説でなく天動説なのは、『崇禎暦書 (五緯暦指)』の記述に端を発する。地動説はキリスト教の教義に反するとされており、イエズス会宣教師たちが詳しく説明しなかった等の事情もあろう。

太陽窮理了解説(たいようきゅうりようかいせつ)』 本木良永訳 寛政四年(1792) 筆写本1冊 (大正新写本)

太陽窮理了解説1 太陽窮理了解説2 太陽窮理了解説3

本木良永 (1735-1794) は長崎の通詞 (幕府に任命された世襲の通訳) で、オランダ語に通じていた。

『崇禎暦書』のような中国でイエズス会宣教師によって書かれた本には地球中心説が記載されていたが、良永は直接オランダの書物から知識を得ることが出来る立場にあったため、『阿蘭陀地球説(和蘭地球図説)』や『天地二球用法』で我が国に初めてコペルニクスの太陽中心説 (地動説) を紹介することになった。

『太陽窮理了解説』はイギリスで出版されたジョージ・アダムスの天文書のオランダ語版を和訳したものである (英語版1766、オランダ語版1770)。この本で太陽中心説やケプラーによる惑星の楕円運動はすでに自明のものとして採り入れられている。土星の衛星は1684年にカッシーニの発見した5個までが描かれている。

惑星儀図解市野茂喬(いちのしげたか)著 天保三年(1832) 筆写本1冊

惑星儀図解1 惑星儀図解2

市野茂喬 (生没不詳) は会田安明 (1747-1817) を祖とする最上流の和算家。伊能忠敬の全国測量にも関わっている。茂喬はオランダ人の献上品の惑星儀と天体儀 (天球儀) の仕組みを調べて図解し、オランダ天文書から関連する情報を抜き出して本書に書き記した。巻末には間重新 (1786-1838) が観測した天保三年四月五日(1832)の水星日面経過の記録も附されている。重新は間重富 (1756-1816 大坂の商人で天文家) の長男で、天文家。観測技術に優れていた。

オーラリー (図中にはオルレレーと記述) とは、機械仕掛けによって惑星などの動きを模式的に示したもので、ジョージ・グラハム (1673-1751 イギリスの時計技師、発明家) らによって考案された。とくにジョン・ラウリーの製作したものが、彼の経済的な支援者であるオーラリー伯爵の名前を付けて広まり、このような装置全般がオーラリーと呼ばれるようになった。グラハムは機械式時計の精度を向上させる複数の機構を発明し、エドモンド・ハレー (1656-1742 イギリスの天文学者) のためにグリニジ天文台の壁面四分儀なども制作した。

『皇帝天文学』"Astronomicum Caesareum", Petrus Apianus 著 (1540) 復刻本

皇帝天文学1 皇帝天文学2

ペトルス・アピアヌス (1495-1552) はドイツの人文主義者で、数学や天文学、地理学、占星術など多くの書物を出版している。中でも『宇宙誌』"Cosmographicus Liber" (1524) は、版を重ねて多くの言語に翻訳され、天文地理の教科書として使われた。

神聖ローマ帝国の皇帝カール5世に献上されたこの『皇帝天文学』は、ヨーロッパの活字印刷発明後100年ほどたって制作されているが、印刷後に手で彩色がされた大変珍しい豪華な書物である。ボルベルと呼ばれる現在の星座早見盤に似た仕組みが多数綴じ込まれ、円盤状の紙を回転させて例えば年月日を設定することで、天文学の計算や専門知識がなくとも、惑星の位置などを簡単に求められる工夫がされている。ほかにも、球面三角法、観測機器の取り扱い説明や、後にハレーによって回帰が発見される1531年の彗星の記録もあり、太陽の反対側に尾があることなどが記されている。

国立天文台所蔵の本はオリジナルではなく冊数限定で後年複製されたもので、元の本にあったしみや汚れも含めて細部まで再現され、巻末の余白のページにはティコ・ブラーエのサインが入っている。残念なことにボルベルの円盤の組み合わせには間違いが複数あって、修復には専門家が修復キットを使っても8時間はかかるということである。

参考文献:
『誰も読まなかったコペルニクス』 オーウェン・ギンガリッチ著、柴田裕之訳 早川書房
『江戸の天文学者 星空を翔ける』 中村士著 技術評論社
『史伝でつづる天文外史』 石田五郎著 自然1975年3月号 中央公論社

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