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フランス共和暦 (French Republican Calendar)†
- 1793年、フランス革命の際に制定。フランス革命暦 (French Revolutionary Calendar) と呼ばれることもあります。
- 1792年9月21日の王政廃止宣言翌日を共和暦1年の初日とします。
- 当初は紀元の変更のみであり*1、1793年1月からは共和暦2年とされていました*2。
- 1793年10月5日のデクレ*3により共和暦の大枠が定められ、遡って年初を変更することとなりました。
- その後、月名の修正等を加え、共和暦2年フリメール4日(1793-11-24)のデクレ*4により、ほぼ完成しました。
- 1年は30日の月が12個と余分な5-6日からなります。
- 各年の初日は、常用時で数えた、パリ天文台における秋分を含む日と定められました。
- 余分な日は、平年では5日、うるう年では6日となります。
- 各月は10日ごとの週=旬(décade)に分けられます。
- 曜日はPrimedi、Duodi、Tridi、・・・、Décadiのように、番号で呼ばれました。
- 公的機関の休日はDécadiに変更されました*5。
- 暦を考案したのは、数学者のGilbert Rommeらです。
- メートル等の度量衡改革*6と同様に、計算に便利な10進法をベースにした暦となっています。
- 時刻についても、共和暦3年から、1日=10時間、1時間=100分、1分=100秒といった10進法の体系へ変更されることになりました。
- d.hmmss日、h.mmss時、mm.ss分のような小数への変換も簡単ですし、時刻差等の計算結果もそのまま時分秒として使えます。
- しかし、この変更を実施するには時計をすべて作り直す必要がありますし、置き換わるまでは両方を区別しながら使う必要もあります。
- 結局、共和暦3年ジェルミナル18日(1795-04-07)のデクレ22条*7により、この変更は無期限凍結とされました。
- その後、共和暦の使用とくにDécadiの休日化は強制力を増し、祭り・市場・結婚式など、様々なものがDécadiに行うよう定められていきました*8。
- フランス革命では、王族や貴族に加えて聖職者階級も打破の対象であり、キリスト教の日曜礼拝や祭日を忘れさせるため、共和暦が利用されました。
- しかし、公式の休日が7日に1回と10日に1回では大きな差があります。
- カトリック教会との和解に伴い、共和暦8年にはDécadi休日は公務員等に限定され*9、共和暦10年にはそれもなくなり*10、7日週に戻りました。
- 暦自体も、共和暦13年フリュクティドール22日(1805-09-09)の元老院決議*11にもとづき廃止され、1806年からはグレゴリオ暦に戻りました。
月の名前†
- 各月の名前は当初Premier、Secondといった番号とされましたが、共和暦2年ブリュメール3日(1793-10-24)のデクレ*12により、季節にちなんだ名前が付けられました。
- 世界史でもお馴染みの名前ですね。
- さらに、1日ごとにも個別の名前が付けられていました。
月名 | ヨミ、意味 | グレゴリオ暦 |
Vendémiaire | ヴァンデミエール (葡萄月) | 09〜10月 |
Brumaire | ブリュメール (霧月) | 10〜11月 |
Frimaire | フリメール (霜月) | 11〜12月 |
Nivôse | ニヴォーズ (雪月) | 12〜01月 |
Pluviôse | プリュヴィオーズ (雨月) | 01〜02月 |
Ventôse | ヴァントーズ (風月) | 02〜03月 |
Germinal | ジェルミナル (芽月) | 03〜04月 |
Floréal | フロレアル (花月) | 04〜05月 |
Prairial | プレリアル (草月) | 05〜06月 |
Messidor | メスィドール (収穫月) | 06〜07月 |
Thermidor | テルミドール (熱月) | 07〜08月 |
Fructidor | フリュクティドール (実月) | 08〜09月 |
- このデクレでは、余分な日はサン・キュロットの日(Sans-Culottides/Sanculotides)と命名されました。
- サン・キュロットとは、キュロット(当時の貴族階級がはいていたズボン)をはかない人たち=市民階級のことです。
- ただし、共和暦3年フリュクティドール7日(1795-08-24)のデクレ*13で元の名称(jours complémentaires)に戻されています。
- 各年の初日はパリ天文台における秋分の日です。
- うるう年は共和暦3、7、11年、その後は15、20、24、28年となる見込みでした。
- このように、秋分の日を基準にすると、必ずしもうるう年が4年おきになるとは限りません。うるう年がいつだったか、いつうるう年になるのか、どちらもすぐにはわからないことになります。
- また、秋分の瞬間が0時前後の場合はどちらの日となるか微妙であり、先々の予測は困難となります。
- 共和暦3年には、より規則的にうるう年を入れる草案も作られましたが、Gilbert Rommeの逮捕・死去もあり、頓挫したようです*14。
- 結局、共和暦は14年の途中で廃止され、そういったケースは起こりませんでした。
共和暦 | グレゴリオ暦 | 備考 |
1年 | 1792-09-22〜1793-09-21 | 平年 |
2年 | 1793-09-22〜1794-09-21 | 平年 |
3年 | 1794-09-22〜1795-09-22 | 閏年 |
4年 | 1795-09-23〜1796-09-21 | 平年 |
5年 | 1796-09-22〜1797-09-21 | 平年 |
6年 | 1797-09-22〜1798-09-21 | 平年 |
7年 | 1798-09-22〜1799-09-22 | 閏年 |
8年 | 1799-09-23〜1800-09-22 | 平年 |
9年 | 1800-09-23〜1801-09-22 | 平年 |
10年 | 1801-09-23〜1802-09-22 | 平年 |
11年 | 1802-09-23〜1803-09-23 | 閏年 |
12年 | 1803-09-24〜1804-09-22 | 平年 |
13年 | 1804-09-23〜1805-09-22 | 平年 |
14年 | 1805-09-23〜1805-12-31 | ニヴォーズ10日まで |
関連ページ†
Décret du 22 septembre 1792 (1792-09-22) ->
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Décret du 2 janvier 1793 (1793-01-02) ->
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Décret du 5 octobre 1793 (1793-10-05) ->
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Décret du 4 Frimaire an 2 (1793-11-24) ->
本文(4)に戻る
Décret du 16 Vendémiaire an 2 (1793-10-07) ほか->
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Décret du 1 aout 1793 (1793-08-01) ->
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Décret du 18 Germinal an 3 (1795-04-07) ->
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Arrêté du 14 germinal an 6 (1798-04-03), Loi du 17 thermidor an 6 (1798-08-04), Loi du 13 fructidor an 6 (1798-08-30), Loi du 23 fructidor an 6 (1798-09-09) ほか->
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Arrêté du 7 thermidor an 8 (1800-07-26) ->
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Loi du 18 germinal an 10 (1802-04-08) ->
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Sénatus-consulte du 22 fructidor an 13 (1805-09-09) ->
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Décret du 3 brumaire an 2 (1793-10-24) ->
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Décret du 7 fructidor an 3 (1795-08-24) ->
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Lamont, R., The French Republican Calendar and Some Others , Popular Astronomy, 28, (1920).->
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Last-modified: 2022-08-19 (金) 18:44:43