暦Wiki
古代ローマの季節†
春分はいつか?†
- 古代ローマでは、春分は3月25日とされていたようです。
- しかし、現代天文学で紀元前45年ごろの状況を調べると、春分は3月23日ごろとなります。
- 春分が3月25日ごろになるのは紀元前3-4世紀、ヒッパルコスよりも前の時代のことです。
- これは昔の観測成果をもとに決めてしまったからとも考えられます。
- 結局、ユリウス暦は3月25日が「春分」となるように定められたのか?
- 以下の資料に見られるように、その可能性はあります。
- しかし、その「春分」は天文学的に妥当なものとはいえません。
基点 | 日付 | 長さ |
春分 | 03月23日 | 94日00h |
夏至 | 06月25日 | 92日10h |
秋分 | 09月25-26日 | 88日16h |
冬至 | 12月23日 | 90日04h |
古代ローマの季節区分を示す資料†
ウァロの農業論†
季節 | 日付 | 長さ | 定義 |
春 | 02月07日 | 91日 | 宝瓶宮 23° |
夏 | 05月09日 | 94日 | 金牛宮 23° |
秋 | 08月11日 | 91日 | 獅子宮 23° |
冬 | 11月10日 | 89日 | 天蠍宮 23° |
- 参考までに、現代天文学で紀元前45年ごろの状況を調べると、以下のようになります。
基点 | 日付 | 長さ |
立春 | 02月05-06日 | 92日09h |
立夏 | 05月08-09日 | 94日00h |
立秋 | 08月10-11日 | 90日05h |
立冬 | 11月09日 | 88日16h |
大プリニウスの博物誌†
- 紀元1世紀に書かれたもの。第18巻59章 (Pliny the Elder, The Natural History )
- 春分・夏至・秋分・冬至が季節の基点とされています。
- ただし、( )の日付は本文中にないので、季節の長さから計算したものです。
- 定気法のように太陽の位置で定義するため、季節の長さは等間隔になりません。
- 各季節の長さはヒッパルコスの使った値と一致しています。
- 春分等の定義は古代バビロニアのSystem Bと呼ばれる体系のものです。ウァロのものも、これらとちょうど45°ずれているので同じ体系といえます。
- この体系では歳差は考慮されていないので、春分点は時の経過とともに移動していきます。
- Jonesの変換式*1によれば、紀元前後における春分点の位置はこの体系では白羊宮 6°ほどとなりますので、この定義とは約2°のズレがあることになります。
- このため、定義に合致する日を観測から定めたとすれば、古代ローマの春分は実際よりも2日ほど遅れ、3月25日ごろとなるでしょう。
季節 | 基点 | 日付 | 長さ | 定義 |
春 | 春分 | 03月25日ごろ | 94日12h | 白羊宮 8° |
夏 | 夏至 | (〜06月27日) | 92日12h | 巨蟹宮 8° |
秋 | 秋分 | (〜09月27日) | 88日03h | 天秤宮 8° |
冬 | 冬至 | 12月25日ごろ | 90日03h | 磨羯宮 8° |
コルメラの農業論†
- 紀元1世紀ごろに書かれたもの。第9巻第14章 (Columella, De Re Rustica )
- 日付や定義は大プリニウスと似ていますが、秋分の日付が記載されています。しかし、秋分〜冬至の間隔は92日で、大プリニウスの記述と一致しません。
- 「ヒッパルコスは0°を春分にしたことは知っているが、8°を春分とする昔のやり方の方があうのでこちらを使っている」という記述があります。
#歳差を知ってはいるが、理解はしていないということでしょうか。
基点 | 日付 | 長さ | 定義 |
春分 | 03月25日ごろ | | 白羊宮 8° |
夏至 | | | 巨蟹宮 8° |
秋分 | 09月24日ごろ | (92日) | 天秤宮 8° |
冬至 | 12月25日ごろ | (90-91日) | 磨羯宮 8° |
農業用暦†
基点 | 日付 | 長さ |
春分 | 03月25日 | (91日) |
夏至 | 06月24日 | (92日) |
秋分 | 09月24日 | |
冬至 | | |
関連ページ†
Last-modified: 2015-12-18 (金) 19:24:15