暦Wiki
授時暦 / 大統暦†
- 暦法:元史巻五十四 志第六 暦三 / 明史巻三十五 志第十一 暦五
- 選者:郭守敬、王恂、許衡
- 期間:元の至元十八年(1281)〜明の滅亡(1644)までの364年間。前は重修大明暦、次は時憲暦。
- 定数:定朔、平気、破章法、歳差。
- 1恒星年= 3652575 (周天)÷10000(日周)=365.2575日
- 1太陽年= 3652425 (歳実)÷10000(日周)=365.2425日
#消長法により変動します。
- 1朔望月= 295305.93(朔実)÷10000(日周)=29.530593日
- 1近点月= 275546 (転終)÷10000(日周)=27.554600日
- 1交点月= 272122.24(交終)÷10000(日周)=27.212224日
- 特徴
- 中国暦法の最高峰といわれる太陰太陽暦法です。
- 進朔や積年・日法を廃止、招差術や弧背術など計算方法にさまざまな改良を加えました。
- 江戸時代初期、和算で有名な関孝和をはじめ、多くの学者が授時暦を研究するようになりました。
- 渋川春海の貞享暦も授時暦を基礎として作られています。
- 観測を重視しました。
- 明の時代に複製された観測機器が現在も中国の紫金山天文台に置かれています。
- 幸いなことに、13世紀頃はたまたま冬至と近日点が近い関係にあり、勾配術で精度よく冬至を決定することができました。
- 観測機器にはイスラム天文学の影響が見られます。
- 大統暦は授時暦から消長法を除いただけで、内容的にはほぼ授時暦と同じものでした。
- 明末には日月食の予報を外すことも多く、回々暦(イスラム暦)に頼っていたようです。
- 明末の徐光啓は西洋天文学による改暦を目指しましたが、実施には至らず明は滅亡を迎えました。
関連ページ†
- 貴重資料展示室
- 参考文献
- 藪内清『中国の天文暦法』平凡社 (1969)
- 内田正男『暦と時の事典』雄山閣出版 (1986)
Last-modified: 2024-03-05 (火) 14:20:31