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用語解説
暦Wiki
圭表儀
†
圭表儀は、太陽の南中時における影の長さを測る装置です。
縦棒の部分が「表」、目盛りのついた水平部分が「圭」です。一般的には、ノーモン(gnomon)に分類されます。
とても単純で、もっとも古くから使われている観測装置といえます。
(西村遠里『
授時解
』p.595)、 (
渋川春海
『
貞享暦
』p.32)、 (渋川景佑ほか『
寛政暦書
』p.14)
測定原理
†
基本的に、
太陽の南中高度は冬至で最も低く、夏至で最も高く
なります。
南中時における影の長さは南中高度を反映し、冬至で最も長く、夏至で最も短くなります。
逆に、南中時における影の長さを日々測定すれば、それが極大・極小となる日から、冬至・夏至の日がわかるというわけです。
より根源的には、太陽の
赤緯
が冬至で極小、夏至で極大となることに対応します。
ただし、圭表儀による観測は1日1回=南中時のみであり、太陽赤緯が極小・極大となる瞬間を測定することはできません。
勾配術
を用いると、その瞬間〜冬至・夏至の時刻を推定することは可能であり、そこから
1年の長さ
を知ることもできます。
そもそも、冬至・夏至前後における影の長さ〜太陽の赤緯はあまり変化しませんから、冬至・夏至の決定は原理的に困難といえます。
ちょっとした誤差でも数日単位でぶれます。夏至では影が短いので、ますます精度のよい測定は困難になります。
表を高くすることで影を伸ばし、測定精度を上げることはできます。
一般的には8尺の表が用いられましたが、
授時暦
では40尺の巨大な表が用いられました。
さらに、ぼやけた影を鮮明にするために、景符が用いられました。
現実的には、大きな装置を精密に作るのは困難だったようです。
渋川春海
はもっぱら8寸の表で観測していました。8尺の表ができたのは、貞享元年(1684)のことです
*1
。
宝暦年間
以降は、1尺の小表儀による観測が増えています
*2
。
いずれにせよ、
赤道環
で春秋分を観測するのに比べれば、いかにも心もとない方法といえます。
ようやく
寛政年間
になって、太陽の経緯度測定が主流となりました
*3
。
関連ページ
†
貴重資料展示室
第53回展示・渋川春海の業績-II
季節/季節のめぐりの周期
季節/季節のめぐりの周期/二至二分
季節/二十四節気とは?
勾配術
授時暦
渋川春海
赤道環
赤道座標系
昼夜の刻数/半昼夜分
日の出入りと南中/昼や夜の長さの季節変化
要素/1年とは?
歴史/日本の暦/2.渋川春海と貞享暦
歴史/日本の暦/3.徳川吉宗と西洋天文学、宝暦暦
歴史/日本の暦/4.高橋至時と寛政暦
*1
渋川春海
『
貞享暦
』p.21参照。
->
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*2
渋川景佑ほか『
寛政暦書
』p.30参照。
->
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*3
渋川景佑ほか『
寛政暦書
』p.42参照。
->
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Last-modified: 2016-02-19 (金) 13:44:16