暦Wiki
古代中国のこよみ†
- 日本や中国では古代から近代に至るまで太陰太陽暦が用いられてきました。
- ただし、暦法がきちんと残されるようになったのは、前漢の武帝により太初元年 (紀元前104年) から使用された太初暦以降です。
- それ以前についての詳細は不明ですが、おそらく四分暦のようなものと考えられています。
- 太陽は1日1度、1年で約365.25度移動し、元に戻ります=周天。
四分暦†
- 四分暦は太陰太陽暦の1種です。
- 周期
#1年や1朔望月の長さが過大なのであまり長い時間を考えても意味はありません・・・。
- 1章=19年=7閏=235朔望月 (朔望と季節がそろう)
- 1蔀=4章=76年=28閏 (朔時刻の端数もそろう)
- 1紀=20蔀=1520年=560閏 (日の干支もそろう)
- 1元=3紀=4560年=1680閏 (年の干支もそろう)
古六暦†
- 漢のころに伝わる黄帝、顓頊、夏、殷、周、魯の六暦をまとめて古六暦と呼びます。
- とくに顓頊暦は秦〜漢初にかけて用いられた四分暦の1種で、太初暦の導入まで用いられていました。
- その他についてははっきりと伝わっておりませんが、殷の甲骨文にある日の干支や日食記事などのように、古くから何らかの暦法は存在したと考えられます。
- 渋川春海の古暦研究
- ほかにもさまざまな資料をもとに暦を復元する試みが行なわれてきました。
- しかし、資料が断片的だったり、後世作られたために誤記やつじつま合わせがあったりと、なかなか難しいようです。
- いきなり暦法が誕生したというよりは、二十八宿・章法・二十四節気など暦に必要な要素が、長い時間をかけて徐々に整備されていったものと考えられます。
暦と天命†
- モデルや定数が完全でない以上、長期間同じ暦を続けることはできず、どうしても改暦が必要になります。
- 実際には、そうした科学的な要求のほかに、支配の正統性を示すイデオロギー的な要求が絡んでいました。
- 観象授時
- 天文現象を観測して人民に正しい時季を授けること、すなわちこよみを作ることは為政者の務めとされていました。これを観象授時といいます。
- 受命改制
- 天文現象とは天が支配者にその意思を示したものであり、政治の良し悪しが現れると考えられていました。
- 新王朝は新たに天命を受け、天意に従って統治することを明らかにするため、制度 (とくに正朔=暦法と服色) を改めました。これが受命改制です。
- 「正朔を改める」とは、もともと下記のように正月の朔を変えることのようでしたが、暦法を改める意味で使われています。
- 「正朔を奉ずる」とは、天子の定めた暦を採用することですが、臣下となるという意味で使われます。同じ暦を使うことが服従の意を表現することになるわけです。
- 逆に、前王朝から天子の地位を譲り受けたとして(禅譲)、暦を含めた前王朝の制度を引き継ぐことも行なわれています。
- 三正論
古代中国の宇宙観†
- 戦国〜漢時代にはさまざまな宇宙観が論じられました。
- 「往古來今謂之宙,四方上下謂之宇」(淮南子 巻十一 斉俗訓 国立国会図書館 )
- 蓋天説
- 『周髀算経』に詳しく論じられています。
- 天はふたのようなもので、北極星を中心に回転し、遠くに行くと天体は見えなくなります。
- 季節により太陽の描く円の大きさが変わります。
- 現在では天の北極という言い方をしますが、この説ではむしろ北極下地という概念になります。
- 渾天説
- 張衡の『渾天儀』に詳しく論じられています。
- 現代の天球の考え方に近い宇宙観で、北極や南極、赤道や黄道の概念もあります。
- 宣夜説
- 日本に暦が伝わったころには論争は下火になっており、日本ではあまり論じられませんでした。
関連ページ†
Last-modified: 2016-11-30 (水) 11:29:14