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貴重資料展示室

第34回常設展示:2006年3月24日〜2006年10月27日
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内田五観の世界 -算學から天文まで-

内田五観(うちだいつみ) (1805-1882) は、はじめ恭といい、宇宙堂と号した。通称を弥太郎という。算學の関流日下門下の第一人者であり、内田の開いた塾からは多くの門下生が育ち、全国に広がっていた。蘭学を高野長英に学び、算學、天文、地理、航海測量に通じていた。和算は暦算・天文とも深い関わりがあった。明治に入り、内田五観は明治三年に天文暦道御用掛として大学出仕、以後文部省内務省へ至る明治初期の編暦の中心人物であり、太陽暦改暦の事業に関わった。

高野長英 (1804-1850) は医者、蘭学者で、シーボルトの鳴滝塾で学び、後、蛮社の獄で入牢したが、脱獄し転々とした。

新考太陽高孤捷法(しんこうたいようこうこしょうほう)』 内田弥太郎著 写本1冊

内田五観が開いていた瑪得瑪弟加(まてまちか) (Mathematica=数学の意か) 塾の北極高度を35度41分として、各節気における1時間ごとの太陽高度を計算する過程を示している。図による説明も加えてある。

新考太陽高孤捷法1 新考太陽高孤捷法2

三角内容三斜術』 安島直円編 付録 日下誠編 補遺 内田恭編 拾遺 入沢行篤編 写本1冊

この問題は安島直円が編集したものを日下誠が、次にその門下の内田が解き、さらに同じ問題をまた、その門人が解いている。この問題は八百二十五寸を一辺とした正三角形の中にすべてが整数値になるように次々と斜線を描く、その描き方を問う問題である。

三角内容三斜術1 三角内容三斜術2

拝命之記』 明治四年 写本1冊

明治三年(1870)八月、暦のみならず広く星学研究を目指すべく天文暦道局は星學局へと改称、内田はその都督となった。内田五観の他に最後の幕府天文方であった渋川敬典など9人の履歴書が『拝命之記』として残されている。

拝命の記1 拝命の記2

自長崎至暹羅航海路推算』 宇宙堂主人編 写本1冊

これは、長崎よりシャム (現在のタイ王国) にいたる航海路推算で、球面三角法によって計算した、次の港までの方位角及び距離が書かれている。また図解もある。天保甲午(五年(1834))のあとがきがある。図を挟んで、故観斉 (内田五観) とある事から、内田五観の書を書き写したと考えられる。

自長崎至暹羅航海路推算1 自長崎至暹羅航海路推算2 自長崎至暹羅航海路推算

(参考)『自長崎至暹羅航海路推算』 高橋卯之助編 写本1冊

天文、算學を学んだ佐倉藩士の高橋卯之助も同じ表題で書いているが、こちらは平面三角法によって計算した、次の港までの方位角及び距離が書かれている。

自長崎至暹羅航海路推算3 自長崎至暹羅航海路推算4
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