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儀鳳暦 (ぎほうれき) / 麟徳暦†
- 暦法:唐書巻二十六 志第十六 暦ニ / 旧唐書巻三十三 志第十三 暦二
- 選者:李淳風
- 期間:
- 中国では唐の麟徳二年(665)〜開元十六年(728)の64年間。前は戊寅暦、次は大衍暦。
- 日本では、元嘉暦との併用期間を経て、続日本紀の始まる文武天皇元年(697)から本格的に使用開始。次は天平宝字八年(764)からの大衍暦。
- 定数:定朔、平気、破章法。
- 1太陽年= 489428(基実) ÷ 1340(総法)=365.24478日
- 1朔望月= 39571(常朔実)÷ 1340(総法)=29.530597日
- 1近点月= 27 + (743 + 1 / 12)÷ 1340=27.554540日 (変日)
- 1交点月= 27 + (284 + 113 / 300)÷ 1340=27.212221日 (交終)
- 特徴
- 日本では儀鳳暦と呼ばれますが、唐では麟徳暦と呼ばれていました。このころ唐で使われていた儀鳳という元号に由来すると思われます。
- 諸定数の分母をひとつの数(1340)に統一しました。
- 歳差は採用していません。
- 定朔の定着。定朔は戊寅暦から採用されていましたが、大の月が4回続いたこともあって、途中で平朔に戻されていました。
- 初めて進朔を採用。ただし、日本の儀鳳暦では進朔は実施されていません。
- 神武天皇即位紀元は儀鳳暦を用いて (ただし平朔で) 推定されたものです。
- このころ中国では瞿曇羅の作った経緯暦というインドの暦法も参考にされていたようです。
- 載初元年(690)〜聖暦三年(700)には建子月を正月とする周正が行なわれました (国号も周に変更)。
- 永昌元年=天授元年(689)十一月を載初元年正月とし、十二月・正月をそれぞれ臘月・一月としました。
- 12月の別称である臘月はここに由来します。
関連ページ†
- 参考文献
- 内田正男『日本暦日原典』雄山閣 (1975)
- 藪内清『中国の天文暦法』平凡社 (1969)
Last-modified: 2016-09-01 (木) 21:06:20