暦Wiki
定時法と不定時法†
- 季節によって1時間の長さが変わらないのが定時法、変わるのが不定時法です。
- 現在一般的に使われているのは1日を24時間とする定時法です。
- これは明治改暦の際、明治五年(1872)十一月九日 改暦の布告 (国立国会図書館 )で導入、明治6年(1873)から採用されました。
- 同じ単位が定時法でも不定時法でも用いられているので、どちらが使われているか注意が必要です。
不定時法†
- 機械式の時計が発達するまでは、1日を昼と夜に分け、それぞれを分割して時刻を決めていました。
- 江戸時代では明六つから暮六つまでを6等分して昼の一刻を、暮六つから明六つまでを6等分して夜の一刻を定めていました。
- 天保暦で暮六時六分とあれば、現代的な6時6分という意味ではなく、暮六つから1時の6/10だけ経過した時刻を指しています。
- 九つ、八つ等はもともと時刻を知らせる太鼓の数でしたが、のちに時刻そのものを指すようになりました。
- 1日の時刻を表わすのに九時・六時だけでは不明確ですので、昼・明などをつけて昼九時・明六時などのように呼びます。
- 数の数え方と時刻の数え方が同じであることを活かしたのが落語の「時そば」ですね。
今暁 | 九時、八時、七時 |
明 | 六時 |
朝 | 五時、四時 |
昼 | 九時、八時 |
夕 | 七時 |
暮 | 六時 |
夜 | 五時、四時 |
- 昼九つは太陽が午の方角に南中する時刻です (視太陽時)。ここから星の南中にも九つという表現が使われることがあります。
定時法†
- 一方、暦面上では天保暦を除き、ずっと定時法が用いられています。
- 時間には1日=百刻という単位がよく使われます。
- 1刻の長さは、現代的な表記では14.4分ということになります。
- 春秋分の昼夜五十刻、明六つ・暮六つの定義に出てくる二刻半などはこれを指しています。
- 時刻には十二辰刻がよく使われます。
- 1辰刻の間隔は、現代的な表記では2時間となります。各刻の初めは初刻、真ん中は正刻といいます。
- 1日=100刻=12辰刻、すなわち1辰刻=8+1/3刻、正刻は各辰刻の4+1/6刻となります。
- 現代的な表記で23時から1時までにあたるのが子の刻で、この中央が子の正刻=正子です。以下、1時から3時までが丑の刻、・・・のように十二支を順番に割り当てます。
- 現代的な表記で11時から13時までにあたるのが午の刻で、この中央が午の正刻=正午です。正午の前が午前、後ろが午後となります。
- いろいろな場面で「刻」や「分」という表現が使われますが、常に同じ定義とは限らず、異なる定義が混在することさえあります。
- 暦法上一般的には1日=100刻=12辰刻、すなわち1辰刻=8+1/3刻となりますが、
- 具注暦の日の出入りでは1日= 50刻=12辰刻、1辰刻=4+1/6刻、1刻=6分となっています。
- 『延喜式』では、1日= 48刻=12辰刻、1辰刻=4刻、1刻=10分となっています (国立公文書館 )。
- 丑の四刻・酉の一刻のように表記されます。刻数は一刻から四刻まで数えるので、三刻が真ん中になります。
- いわゆる丑三つ時とは丑の三刻〜午前2時を指します。
- 端数を嫌って1日= 96刻=12辰刻すなわち1辰刻=8刻としたり、1日=108刻=12辰刻すなわち1辰刻=9刻とすることもあったようですが、時憲暦が1日= 96刻とした以外は長続きはしなかったようです。
- 1日= 96刻は24で割れば1時間=4刻となり、西洋の24時間定時法との換算が容易です。
- 西洋天文学を取り入れた時憲暦としては、その点都合がよかったのでしょう。
日の区切りと時刻表記†
- 暦面上の1日は正子に始まり正子に終わります。
- 正子は子の4+1/6刻ですから、子の四刻は途中で日をまたぐことになります。
- 一方、人々の意識の上では明六つが1日の始まりと考えられていました。
- 以下の変遷からは、昔も日の区切りに関する認識の違いには苦慮していたことが窺えます。
- 宣明暦時代:時刻はないか、「○のとき」まで。その日に記載。
- 天和二年(1682)六月四日 六月節「ねのとき」(23時台)
- 寛文十年(1670)十月十一日 十月中「ねのとき」(0時台)
- 貞享二年暦(1685)〜元文四年暦(1739):正子までの子刻には「夜」をつける。その日に記載。
- 享保三年(1718)二月六日 二月節「夜ねの四刻」(23時台)
- 享保十年(1725)四月廿七日 五月節「ねの四刻」 (0時台)
- 元文五年暦(1740)〜宝暦二年暦(1752):正子から卯の四刻ごろまでは「翌」をつけ、前日に記載。
- 延享四年(1747)正月廿六日 二月節「翌ねの四刻」 (廿七日0時台)
- 寛保三年(1743)二月廿八日 二月中「うの四刻」(廿八日卯の四刻)
(国立国会図書館 )
- 延享三年(1746)九月廿二日 十月節「翌うの四刻」(廿三日卯の四刻)
- 宝暦三年暦(1753)〜宝暦四年暦(1754):何もつけず、その日に記載。
- 宝暦三年(1753)正月三日 正月節「うの二刻」など。
- 宝暦四年(1754)正月十四日 正月節「とらの七刻」など。
- 宝暦五年暦(1755)〜天保十四年暦(1843):正子までの子刻には「今夜」、正子以後の子刻と丑・寅刻には「今暁」をつけ、その日に記載。
- 宝暦八年(1758)七月十八日 七月中「今夜ねの四刻」(23時台)
- 寛政九年(1797)八月二日 八月中「今暁ねの四刻」(0時台)
- 宝暦六年(1756)四月廿四日 四月中「今暁とらの八刻」
- 天保十五年暦(1844)〜:不定時法に移行。
- 天保十五年(1844)七月廿五日 八月節「夜四時六分」
- 天保十五年(1844)二月十八日 三月節「今暁九時九分」
関連ページ†
- 参考文献
- 斉藤国治『古代の時刻制度』雄山閣出版 (1995)
- 橋本万平『日本の時刻制度』塙書房 (1966)
Last-modified: 2024-03-05 (火) 12:51:52